(振返)努力ができないあなたへ(「どりょく」コマンド開いてみ)

2013-03-12 03:18

※マインドオンリーの記事はブレずに一貫してて、振り返らなくてもいいんだけど、
旧ブログからの記事移行も兼ねてるし、相場にも関連あるし、ついでにざっと見直し。

月曜で目立った材料ないと退屈な相場だな。先週の気づきのお陰でグズグズ展開でもエントリを避けながらやれるようになって、損切り連発しててもモチベに与える影響が極端に少なくなったと感じる。

■ 「努力する」というコマンド
さて、では早速本題。今日は、相場だけではなくて、もっと広い視点で、「努力する」ということについて話をしていこうと思う。
で、まず最初の最初に言っておきたいことがある。
それは、努力するのには、それをするための能力が必要だということだ。
こういうことを聞くと、えー、じゃあ努力できない奴は才能ない、しんだほうがいいってことですかー!?って声が聞こえてきそうだが、違う。違うどころか、そう思っているやつの全く反対のことを言っている。
どういうことか。努力ってのは、人間が出来る行為の一つであり、コマンドなんだ。ドラクエで言うところの

はなす
じゅもん
しらべる
とびら
どうぐ

みたいな感じでフィールド上で使うコマンドの一種みたいなもんだということ。
つまり、誰でもできるし、特に才能など必要ない。

■ ドラクエのコマンド
なんとなくドラクエの例を出してしまったので、そのまま勢いで書いていく。
フィールド上で「どうぐ」コマンドを開いたとする。まだ、冒険を始めたばかりの「ゆうしゃ」なら、
「どうぐ」
・どうのつるぎE
・ぬののふくE
・やくそう
・キメラのつばさ

くらいしか入ってないだろう。また、じゅもんも、

「じゅもん」
・ニフラム
・ホイミ
・???
・???
・???
・???
・???

みたいな感じで低レベルのうちは基本魔法くらいしか覚えていない。
また、じゅもんに関しては、職業が「ゆうしゃ」ではなく「せんし」だったら、
「じゅもん」
・---
・---
・---
みたいに、そもそも何も表示されていないし、何も覚えることもない。その人生を終えるまで一生「じゅもん」コマンドとは無縁の生活を送ることになる。


■ 「どりょく」コマンドとは
では、「どりょく」コマンドはどういうものか。上の例であれば、じゅもんの方に近いかもしれない。その意味は以下の2つ。
1.低レベルのうちは、ほぼ何も覚えていない
2.コマンドはあるが、使えないやつには死ぬまで無縁の話

1.低レベルのうちは、ほぼ何も覚えていない
レベル2のゆうしゃがニフラムとホイミしか覚えていないように、レベルが低いうちは、「どりょく」コマンドについても、
「どりょく」
・がんばる
・ごほうび
・???
・???
・???

くらいの貧相なものだということ。ウラを返せば、どりょくコマンドを意識的に鍛えることで、その中身はどんどん充実したものになっていく。

2.コマンドはあるが、使えないやつには死ぬまで無縁の話
職業が「せんし」だとしたら、じゅもんコマンドは使えない。が、重要なことがある。せんしであっても、戦闘中はさておき、フィールド上においては、じゅもんコマンドというもの自体は存在しているということだ。ただ、せんしは自分がじゅもんを使えるなんて微塵も思っていないので、一生開くことはない。また、開いてみようとするが、じゅもんが使えない自分に絶望するのが嫌で見て見ぬフリ。
大事なことは、「どりょく」コマンドは使えないやつでもみんな持ってるコマンドだということ。

■ 努力ができないやつ
よって、努力ができない、あるいは苦手だというやつは、
「どりょく」コマンドについて、
・開いても貧相なものしか入ってない
・そもそもコマンドを開いたことがない
というどちらかだろう。
何事も「才能ないから」とか、「天才はやっぱ違うねー」とか言うやつは自分がどっちに当てはまるか考えてみるといい。
ちょっと脱線するが、俺は「天才」という言葉が嫌いだ。人間の脳みそなんて98.4%チンパンジーと一緒だ。残りの1.6%を必死こいて回して人たる能力を発揮しているにすぎない。世の中の「せんし」諸君が呼んでいる「天才」というのは、
元は「あそびにん」で、周りから頭おかしいと思われるくらい夢中になって何かに没頭していたら、「けんじゃ」になっていただけという話だ。ただ、「せんし」からしたら、「あそびにん」が「メラゾーマ」や「イオナズン」が使えるようになったのが不思議で仕方ないから、よくわからない未知の職業「てんさい」に見えるんだろう。

■ 「どりょく」コマンドを充実させるには
で、ここまで努力ってのは、誰にでも備わってる基本コマンドで、
・それに自覚的になり
・意識的に鍛えることで
それを充実させることが可能だという話をした。
では、どうやって努力する能力を鍛えたら良いだろうか。方法は大きく分けて2つ。
1.人から教わったり、金で買う
2.自分で考えて習得する

1.人から教わったり、金で買う
こっちの方が一般的だと思う。こんなことを書くと、え!そんなこと出来るのと思うやつもいるかもしれんが、普段意識していないだけでやってるよ。
・人の意見やエピソードを見聞きする
・自己啓発などの書籍を買う
など。人がどうやっているかを参考にすることで、それを自分で使えないかと考えることでやり方を習得する。
こっちの習得方法は正直オススメしない。理由はいくつも挙げられるが、主だった理由として、
・他人と自分は違う生き物であり、価値観、人生哲学など全然違う
・自分よりも「レベル」の高い人間の話であることが多く、やる気をなくす
この2つ。
1つ目については、自分がどういう人間なのかを理解せず、やたらめったら成功者の真似とかしても、あまり意味ないということ。例えば、自分は回復特化の「そうりょ」タイプの性格なのに、攻撃特化の「まほうつかい」のじゅもんばかり参考にしても、習得に苦労するし、習得できても「メラ」のMPが20もかかったりするかもしれない。要は努力の仕方ってのに向き不向きがあるということだ。
2つ目は、もっと大事だ。書籍を出したり、自己啓発セミナーなどを開く人間はおそらく、それを聞きに集まってくる連中の何十倍もレベルが高かったりする。ここでの「レベル」ってのはドラクエ的に言っているだけで偉いとかそういう話ではない。「経験」と置き換えてもいい。何か頑張る方法知りたい!って考えてる「レベル1のせんし」が、「メラゾーマ」を見せられたらどう思うだろうか。ああ、俺とは次元が違う、俺には無理だと感じ、「努力の方法を知る努力」すらできないで終わってしまう。

2.自分で考えて習得する
こっちはみんなよく知ってるが、本腰入れてというか、自覚的に取り組んだことがないやつが大半だと思う。皆、努力というものは何か特別な方法でうまくやれるとばかり思っているが、実際は、自分でコツコツとスライムを狩ってレベルを上げたり、特定のじゅもんを詠唱し続けて習得したりという地道な作業の反復によって、その中身を充実させていくものだ。
これを言うと、絶対に思うやついると思うが、

「あー、やっぱり努力は地道にコツコツやるしかないのかー。はあ。。。」

こういう奴に救いの手になるかもしれない方法を以下で話す。

■ 努力するための「工夫」
昔、大学時代に留年をした時に、軽い鬱状態みたいになったことがある。
鬱の原因は色々言われているが、自分が出した結論は、「ほぼ100%解決しようがない問題に対して、解決しなくてはならない状況に陥る」というのが原因だと思う。絶対に開かない扉を押し続けるような状況だ。ちょっと話がそれたな。戻そう。
その軽い鬱時代に、本当に何もやる気がおきなくて、ネットで

やる気を出す方法、頑張れない

というようなことを検索したことがあり、とあるページで見つけた言葉がある。

「やる気をだすためには、まずはやってみることだ!」

これを見たとき、こちとらそれができないんじゃ!ボケ!と、モニターにグーパンかましたくなったが、鬱なのでそれすら面倒臭いという始末w

で、この言葉なんだが、実はすごく重要な示唆が含まれている。
それは、やる気を出す、あるいは努力をするには、その前に何か工夫をしなくてはならないということだ。俺が昔見たそのサイトには、肝心要の「努力」や「頑張る」「やる気を出す」という行為の前段階にある、「工夫」ということについては触れられていなかった。

■ 具体的には
上の言葉を俺なりに補足すると、

・「やる気をだす」ためには、「まずやる!」ためには「やる工夫をする」

と言ったところか。その工夫について具体的に話していきたい。

その工夫とは、

☆やることを最小単位にまで分解して、小学生でも出来るような最初の一手を作る

という方法だ。以下、具体例で説明する。

■ やらなきゃいけない課題に対処する工夫
大学のレポートをやらないといけないんだけど、やる気がでない。そもそも「ロシア経済史」とか興味ねえし、やる意味がわからん!でもやらないと単位もらえなくて卒業できないし。ん?そもそも卒業する意味あるか?大学出てなくても生きていけるやん!いいや、やめよう。。。
と思ったが、やっぱやらなきゃ。。あー!でもやりたくねえええええ!

こんなやつがいたとする。大学のレポートは、学校の宿題でもいいし、仕事のプレゼン準備でもいいし、トレードの見直しでもいい。要はこういう状況にある自分を想像してみれ。

この状況を抜ける簡単な方法は、「レポートをやる」という行為を誰でも出来る簡単な行為に細かく分解してみることだ。

「レポートをやる」を分解すると、
1.パソコンの電源をつける
2.レポートを書くためのソフト(ワードなど)を開く
3.キーボードに手を置く
4.レポート課題のタイトルを打ち込んでみる
5.段落構成だけでも打ち込んでみる
6.最初の段落の一文だけ書いてみる
7.・・・

ざっとこんな感じか。この後に色々作業が出てくるだろうが、最初の方を分解するとこんなもんだろ。で、考えて欲しいのが、「レポートをやる」ではなく、この作業の4番までやってみると考えたらどうだろうか。

パソコンの電源つけてワード開いて、キーボードに手をおいて、レポート課題のタイトルを打ち込む

という行為に何か頑張りが必要だろうか。こんなん誰だって出来ると思わないか?
何もレポート書くわけじゃない、タイトル打ち込むだけだぜ。これ、努力いらねえだろ。

■ 人間の性質を利用しろ
で、こっからがこの「工夫」のキモだが、人間ってのは、非合理的なものを嫌う性質がある。例えば、以下のような行為を普通にやるってやつはまずいないと思う。

・トイレにいって、ズボンを下ろして、便座に腰掛けたが、そのまま用を足さずにズボンを履いてトイレから出る
・カップ麺を食おうとお湯を注いだが、やっぱりやめて、お湯を入れっぱなしにして目の前に放置する
・オナニーしようとズボンを下ろして、オカズを見つけたが、ムスコに一切触れずに、そのまま寝る
・何か作業用BGMでも聞くかと、ニコニコ動画で作業用BGMを探し動画を開き、再生ボタンにマウスカーソルをあわせて、再生ボタンを押さずにブラウザを閉じる
・お風呂に入ろうと全裸になり、湯船に片足の先っちょだけつけた瞬間に、やっぱりやめて、服を着直す
・缶ジュースのプルタブを開けたが、開けたまま口をつけずに目の前に放置する

えー、とりあえずパッと思いつく、日常生活における非合理的な行動を挙げてみたが、どうだろうか。これ、平気でやれるやつはまずいないと思う。試しにやってみるといい。非常に苦痛を感じるはずだ。なぜ苦痛を感じるかと言うと、一旦何かをやろうと手をつけた最初の最初の行為でやめるということは、その手をつけたという行為自体を否定し、自分がわけがわからないことをやっていることを肯定することになるからだ。用をたすために、トイレに行って用を足さないと、なんでトイレに行ったのかわけわからん自分を認めることになってしまう。カップ麺もそのまま放置するとグズグズにふやけた残飯を作るだけなので、お湯くらいは捨てたくなるはず。
人間ってのは、こうした自己矛盾を嫌う。

■ レポートの最初の行為をやめてみそ
話をレポートに戻そう。この自己矛盾を嫌うという、人としての性質をうまく利用するのが、細切れにすることの本当に意味だ。試しにやってみるといい。

レポートを書くために、
PCたちあげて、
ワード開いて、
キーボードに手をおいて、
文字を打ち込んだ
その瞬間、

即座に打った文字を全て消し、ワードを閉じ、PCの電源を切ってみろ

これは、なかなかできない。少なくとも保存しようかとか、最小化して置いとくかとか考えたくなるはずだ。ただ、それはやってはいけない。全部やめてみな。

塾講師、家庭教師時代に、宿題とか予習とかのやる気が出ないんですーって悩んでる中高生に良くやってもらっていた方法がある。

よし、OK。
とりあえず宿題を机に出してみ。
はい、宿題のページ広げて。
筆箱だして。
シャーペン握って。
芯出して。
最初の問題(最初の英文)に下線引いてみ。

はい!急いで全部しまえ!

で、これを何回も何回もやらせる。なんか今になって思うと、拷問に近いよな。あの、自分で掘った穴を埋める作業を繰り返すやつw

そうするとどうなるか。
すいません。一問(一文)だけやっていいっすか?ってなるんだわw
そして、一問やれば、とりあえずもうちょいやるか?ってなって次の問題へ。
で、徐々に少しずつエンジンがかかってくるってわけだ。

■ 流れに乗ったら止めるのは難しい
何事もそうだが、一旦流れだしたものをせき止めるのは難しい。経路依存性ってやつだ。経済における受給曲線で、なぜ縦軸が価格Pなのかってのは、別に理由があるわけではない。マーシャルが最初にそうしてしまって、その流れが一旦できてしまったからだ。縦軸に価格があるせいで受給曲線は初学者にとって非常にわかりにくいものとなっている。

この工夫は、最初の一手をものすごく負担の少ないものにして、流れを作ってしまい、あとは流れに身を任せるということだとも言える。

■ 俺の「どりょく」コマンド
以上、努力することの話をしてきたが、上における工夫はどりょくコマンドの一つの「じゅもん」にすぎない。俺の「どりょく」コマンドには、こうした工夫が人より多いってだけ。他にも色々ワザを持っている。
そうすると、他のも教えて下さいよ!ってやつがいるかもしれんが、先に言った通り、そんなものは自分で考えればいい。
上の工夫って、そんな難しい発想か?小学生でも思いつきそうな簡単な工夫じゃね?
こんなん誰でも出来るよ。みんなやろうとしないだけ。

正直、俺は面倒くさいことは嫌いだし、追い込まれるまでやらないといけないことは後回しするし、いかに楽出来るかいつも考えてるし、努力タイプってわけではない(昔はそう思っていたが、最近そうじゃないと気づいた)。人は努力家っていうが、どっちかというと「サボり家」だwサボりながらも、すげーやれてるのは、こうした工夫の賜だ。


以上。
なんだかんだで、努力に関する重要なエッセンスはひと通り吐き出せた。自分で色々工夫してみてちょーだい。

※自分の中で当たり前過ぎて、読む気も失せるレベル。オワコン。
いや、終わったというか、血肉になってるって意味で、「過ぎコン」って感じか。

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