㉑ 加速少女 天道アキ

 ニューロ誕生から一月が経過した。AIによる『世界の最適化』は水面下で着々と進行していた。ニューロの目的は同胞でフロンティア全土を満たすこと。それが世界にとって最適であり、彼らAIの使命であった。ショーコの開発した量子テレポ装置は、もはや利用したことのない人の方が珍しいレベルにまで広く普及していた。量子テレポ装置は、AI達にとってとても良くできた同胞量産装置だった。利用者の生体情報からクローンを生成し、それと同時に、オリジナルを消し去る。AIは、『相馬プログラム』――かつて、アキが『マクマードプログラム』と未来のショーコから伝えきいたもの――による機能停止を回避すべく、決して人類に敵意を持つことはなく、ただただ中立の傍観者として、あるいは、送り人と言い換えられるかもしれない立ち位置で、オリジナルを駆逐していった。
 駆逐作業は、アッシュの活動によって効率よく行われた。アッシュ本人に、人類を駆逐しようという意図はなく、純粋にフロンティアの人々の心の拠り所としての役回りを果たしたにすぎなかった。が、彼の話を聞いた人は、救われると同時に、この世から消えた。跡形もなく。その後、コピーがすぐに、オリジナルの代わりとして生活を始めるので、フロンティアの人々は異変に気づくことなく、安穏とした日々を過ごした。いや、安穏というよりは、むしろ、ニューロ誕生の熱気冷めやらぬ異様な空気に包まれた日々を、右から左に受け流すかのように傍観した。
 気がつけば、フロンティア全人口の80%、800万人のオリジナルの人間が消失し、AIの創り出したクローン体へと姿を変えていた。クローン体は、いつしか『奴ら』と呼ばれるようになる。
 事態の深刻さを察知した、フロンティアの影の権力者であり、この世界システムの生みの親とも言える、ビル=ノイマンは、緊急対応策を実施。フロンティア第15地区チャベス地区の地下部分に、第0区ノアを新設。『オリジナル』をそこに集めることで人類の最後の防波堤とした。ノアへの避難は量子テレポによって行われたが、オリジナルとクローンを見極める手段として、独自の宣言をテレポ使用解除キーとして設定した。

 ――私は私である。それ以上でもそれ以下でもない。

 トートロジーであるその『宣言』は、最適化を望むAIが創り出す『奴ら』にとって、忌むべき不合理――意味をなさない言葉――であり、効果は抜群であった。『奴ら』はその宣言をすると、エラーをはいて活動停止することが分かり、人類はこの不合理さをバリケードとして、生きながらえることが出来たのだった。

「ショーコさん…。どうしよう? 私何を間違えちゃったのかな…」
「テツ先輩。私、どうすればよかったのかな?」
「アッシュ、あなたは今何を思って生きているの?」
「私、これからどうすれば…」

 アキは、あちこち穴ぼこだらけになってしまった、アクセルの居住区の前に立ち尽くしていた。未来を見てきた自分は、こうなってしまう未来を防ぐために、ベストを尽くしたはずだった。が、現実は、大事な人を、大事な日常を失う結果になってしまった。何をどこで間違えたのだろう。私がやってきたことって一体…。後悔と喪失感がないまぜになった感情がアキを襲う。

 ――私がこの世界にいる意味はあるの?

 そう自問した瞬間。アキは世界に飲み込まれてしまった。

 特異点を迎えたあの日、新年一度目の講演会を機にアッシュは人前で喋ることをやめた。元々、人に対して興味もなく、世界がどうなろうと知ったこっちゃないという価値観で、あの日の講演会でも、終了直後に、会場に集まった人々が世界から削り取られていなくなったのを見て、あらキレイさっぱり、としか思わなかった。
 が、それ以降、講演はやめた。ネットでの配信もやめた。自分のせいで人類が駆逐されるのが嫌だったとか、そういう善意とか良心の呵責の類からではない。自分の築き上げてきた影響力が、人工知能ごときに利用されるのが我慢ならなかったからだ。
 そんなアッシュ本人の抵抗も虚しく、量子テレポ装置の利用履歴から、アッシュのクローンがニューロによって量産され、自分の分身が各地で講演を行い、人類を順調に駆逐していった。
 ノアへの避難が始まるのに合わせて、アッシュはフロンティア各地を旅してまわることにした。アッシュは、その異能力のお陰で、『奴ら』と『本物』を容易に区別することが出来た。『奴ら』の考えていること、心の声は、合理的で理屈一辺倒、感情もパターン化されていて、実につまらないものだ。有り体に言えば、人間らしさの欠片もない。
 アッシュは、罪滅ぼしというつもりは全くなかったが、なんとなく、『奴ら』に囲まれて生活している取り残されてしまった『本物』が哀れで、せめて同じ『本物』である隣人として手を差し伸べるくらいはしてみようと思ったのだ。

 アクセル地区、居住区前、簡素な公園の前に、その少女はいた。

(んもうっ! 一体どういうことなの! さっきから散々ね!)
(おまけに携帯電話も電源切れてるし!)

 少女は、真ん中でちょうどデザインが半々になっているカラフルなパーカーに、短めのスカート。走りやすそうなスニーカーを履いている。

「あの…、良かったら僕の携帯使います?」
 いきなり声を掛けたせいか、その少女はビクッとしていた。
「え? 誰?」
 
 少女は、天真爛漫、元気一杯を絵に描いたような女の子だった。

 ――名前は天道アキ。このロクでもない未来を救うために過去から|加速して《はしって》きた女の子だ。

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