⑱ テツオの目に宿る光

 『チップ』を託された二人は、研究所を出てアクセルの|駅《ステーション》に向かっていた。道中、事業所の山下と携帯で連絡をとり、シップの発着時刻と最短ルートを出してもらった。アクセル地区からクロロブ地区へ向かうには、東のシグナス地区を経由するルートか、北のウルート地区を経由するかの2択で、山下調べによれば、時間的にはシグナス経由の方が僅かに到着が早いが、シップが混み合って大幅な遅延が発生する恐れを考えると、ウルート経由の方が安定しているとのことだった。普通に考えたらシグナス経由だが、事が事なので、失敗は許されない。二人は、多少の遅れは足でカバーしようということで意見が合致し、ウルート行きのシップに乗ることにした。
 研究所からノンストップでシップ発着場まで走ってきた二人は、ウルート行きのシップ内で一息つく。一息つくと言っても、アキは|異能力《ちから》のお陰で疲れ知らずで、パーカーのポケットから氷砂糖を取り出し、ひょいぱくと口の中に放り込むのみだ。その様子を恨めしそうに見るテツオ。
「…はぁ、…はぁ。アキ、ウルートまで何分だ…?」
「10分ちょっとです。着いたらそのまま、クロロブ行きのシップに乗り換えて、そこから8分。クロロブ到着は17時40分ってとこですね」
「そうか…。はぁ…。ちったぁ、休めるってわけだな…。助かるぜ…」
「先輩、無茶しないで限界だったら言ってくださいよ? クロロブに着いたら、そこから貨物バスを追っかけないといけないんだから。もし、限界だったら、私だけでも…」
「おっと! はぁ…。みなまで言うな、アキ…。俺を誰だと思っている…?」
 ぜえぜえと肩で息をしてはいるが、テツオの目は輝いていた。アキはその目を見て、先程言いかけた言葉を飲み込んで、
「…嘘ですよ♪ テツ先輩はいつだって私を導いてくれる、尊敬すべき先輩ですから♪ 期待してます!」
 おどけた様子でテツオに励ましの言葉をかける。アキは、テツオの諦めの悪さ、どう考えても疲れているのに、目の輝きだけは失わない、このしぶとさが大好きだった。

 ――1年前。

 〝困惑のスポーツテスト事件〟の噂はすっかり鳴りを潜め、アキは普通の女子中学生としての生活を送っていた。自分が|異能力者《ホルダー》であることを悟られまいと、加速少女である自分を押し隠して生きていた。
 その日もいつものように、学校の給食でデザートとして出されたシュークリームの甘さから加速衝動に駆られ、昼休みにこっそり校舎裏へ行き、人通りの少ない開発区まで片道10キロメートルの散歩――というには、いささかスピード感のある散〝走〟とも言うべき日課――をこなすところだった。その日はとても風の気持ち良い日で、なんとなく、本当になんとなく気が向いて、いつもと逆方向の商業区の方へ向かうことにした。これまで、居住区と開発区の往復ばかりで、少し気分を変えてみたいというのもあった。商業区は人も多いが、裏通りを選べば、注目されることもないし、仮に見られたとしても、自慢の足で逃げおおせることは可能だと踏んで、いつもと違うコースを選択した。
 商業区の中心地についた。真っ昼間ということもあり、自分と同年代の子たちは学校の時間で、待ちゆく人は大人ばかりだ。人通りの少ない開発区と違って、商業区は多くの人達の往来で賑やかで、自分だけがこっそり抜け出しているという事実がより際立ち、そのことが、気まずさと同時に優越感を喚起させる。なんとも言えない高揚感を纏いながら、少し伸びをして、
「さて…、そろそろ戻りますか」
 そう呟いて、裏通りへ入ろうとしたところ、高速で駆け抜けるオートバイが目の前を過ぎた。
 ――えっ!? バイク?
 自動車規制下のアクセルでは、バスを初めとした公共の乗り物しか目にすることはない。今しがた、横切ったものがバイクだと分かるまでに一瞬思考が停止する。
 運転しているフルフェイス姿の人物―体格的に男だろうか―が、目の前をトボトボと歩く老婆のバッグをひったくった。老婆はバイクの勢いに引っ張られて、転倒。自分の身に起こった出来事を理解するまで数秒を要した。直後、
「…ひったくりよー!」
 そう大声で叫ぶと、往来の視線が一気に声の主である老婆の元へ集まり、一拍遅れて、目の前から消えていくバイクへと移った。アキは、瞬時に飛び出して追いかけようと考えたが、これだけの視線の中、時速80キロメートルは出ているであろうバイクを追いかけて、まして追いつきでもしてしまったら、ひったくり犯を捕まえたという賞賛と同時に、あるいは、それよりも先に、またもあの〝困惑の視線〟を向けられると思い、躊躇して立ちすくむ。そんな一瞬の思考で為す術もなく停止しているアキの横を、猛スピードで駆け抜ける影があった。今度は、エンジン音などはなく、過ぎていく後ろ姿を見て、人だとわかった。しかも、ものすごい勢いで加速している。アキは、その後ろ姿に引っ張られるかのように、気がついたら、身体が勝手にその影を追いかけていた。
「こらーっ! ハッ…ハッ と、とまれー! このっ! ハッ…」
 バイクに追いつくか否かのところで、その加速する影は、ひったくり犯に声を掛けていた。息も絶え絶えに。アキはすぐ後ろにくっついてその様子を見ていた。
「こらっ! とまれって…、ハッ…、言ってる…だろーがっ!」
 男の声が届いたのか、ひったくり犯は、こちらを振り返ると、フルフェイス越しにも分かるくらいにびっくりした様子で、動揺していた。それもそのはず、時速80キロで走っているバイクに走って追いついてきた男が後ろで何か喋っているのだ。しかもよく見ると、その後ろには、年端もいかない少女が同様の速度で走って追いかけてきている。もののけか、霊的な何かに追いかけられているのかと動転する気持ちを押さえつけ、犯人は正面を向き直して、アクセル全開で再加速を始める。
 じりじり上がっていく速度に、ついに目の前を走る男とバイクとの距離が開き始める。
「おい…、待てっ! クソっ…! ハッ…ハッ…。待てって…! ハッ…」
 開いた距離を縮めようと男は身体のギアを上げるように、足を回転させる。が、距離は広がることはなかったが、縮まることもない。
「ちくしょう…! ハッ…ハッ…、待てよ! クソっ…!」
 男は体力の限界なのか、疲れきった顔をしている。ただ、その目は光を失わず、絶対に追いつくという意志に満ちあふれていた。
「俺の…取り柄は…ハッ…走ることだけなんだ…! 絶対に! 追いつくからな…!」
 後ろから追いかけるアキは、その男の目を見た瞬間、胸の中から熱いものがこみ上げてくる感覚、胸の鼓動がドクンと高鳴るのを感じた。走りながら、ポケットから氷砂糖を取り出し口に放り込む。甘さを意識したその刹那、ギアが3段階くらい上がる感覚を覚え、目の前の男を軽々と追い越し、ひったくり犯のバイクの横にピッタリとついて並走し、
「止まらなくていいから、それ、返して!」
 そう言い放つと、ひったくり犯が手に握っていたバッグをぶんどった。時速100キロにも届く加速空間の中、バッグをぶん取られ、バイクはぐらりとふらついたが、バッグを離したことによって空いた手で、なんとかバランスをとって踏ん張り、そのまま真っすぐ走り抜けていった。バッグを取り返したアキは、徐々にスピードを落とす。それに合わせて、というよりは、もう体力の限界だったのか、つい先程まで前を走っていた男は、失速し、アキの後方の道路脇でへたり込んでいた。

 男の元へ駆けつけるアキ。
「あのぅー、大丈夫れふか?」
 まだ口の中には氷砂糖が残っている。
「はぁ…、はぁ…、ありがとな…。お嬢ちゃん…」
 行きも絶え絶えといった様子でお礼を言う男。さて、とりあえずバッグを返そうかと、はるか後方のひったくり現場を見遣ると、
 ――ウゥーーーーー!
 けたたましいサイレンとともに、パトカーが2台やってきて、1台はバイクの向かった先へ、もう1台は、二人の元へピタリと横付けされた。
 自動車規制後、車自体、なかなか見かけることのないアクセル地区で、パトカーが出動となると、いよいよ街中をゆく人々の注目が集まる。
 警察が到着したなら安心ねと事情を説明しようとするアキに対して、
「警察だ! 二人共、事情聴取を行うので、速やかに乗りなさい!」
「えっ!?」
 ひったくり犯から、バッグを取り返したというのに、有無を言わさない高圧的な態度で、事情聴取の要求をされる。混乱しながらも、これ以上ことを大きくしてはマズいと、素直に乗り込むアキ。疲れで倒れている男も警官に抱えられ、車に乗り込んだ。
 人生で初めてパトカーというものに乗り、これは午後の授業までに戻るのは無理だなと思う反面、もうここまで来たらどうとでもなってしまえと、半ば自暴自棄に思考を放棄するアキ。隣の男は相変わらず息を切らしている。
 パトカーに揺られること数分。警察署に着いた。二人並んで座らされ、女性の警察官による事情聴取が始まった。まずは名前を聞かれた。隣で息を切らしていた男は、真島テツオというらしい。アキも素直に名前を明かした。事情聴取と言うからには、ひったくりの犯行に関して証言を聞きたいということだろうと、油断していたら、
「それで、あなたたち、許可証は?」
 はて、何のことだか分からず、聞き返そうとすると、疲れから回復したテツオが、
「もちろん、持ってる。ほら!」
 そう言って、テツオはジーンズの後ろポケットから『運び屋許可証』と呼ばれる腕章を取り出した。『許可証』は、圧迫されてくしゃくしゃになっている。
「おい、アキ! こういうことがあるから、ちゃんと腕につけとけっていつも言ってるじゃないか…!」
 そう言うと、テツオはアキの腕をつかむと、強引に腕章を取り付ける。いきなり慣れ慣れしく呼ばれて、腕章をつけられて、一瞬戸惑ったが、どうもテツオが自分を庇おうとしてくれていることだけはわかったので、空気を読んで話を合わせる。
「あ、ごめんなさい! テ…ツオ…先輩…。いっつも言われてるのに、つい忘れちゃって…♪」
 たどたどしい呼び方で咄嗟にテツオを先輩設定に仕立て上げ、わざとらしくおどけて見せるアキ。
「真島テツオさん。あなたの許可証は?」
「俺のは、走ってる途中に落としちまって…。事業所に戻ればスペアがあるから、ちょっくらとってきますよ!」
「ああ、いいです。わかりました。とりあえず今回はひったくり犯を捕まえるためということで、目をつぶりましょう。ただ、今後街中を走るときには必ず許可証を腕につけておくように…。君たち運び屋は、普通に走るのにも危険を伴います。そのことをよくよく覚えておくように…。次腕章つけてなかったら罰金ですからね!」
「あ、あと、真島さん。腕章は|歩いて《・・・》取りに行くように!」

 警察署での事情聴取が終わり、解放された二人は、夕日に照らされる商業区をトボトボと歩いていた。
「あ、あの…。さっきは、ありがとうございました…」
「なに…、こっちこそ…。にしても、アキちゃんだっけ? めちゃくちゃ足速いのな! フロンティア広しと言えど、俺よりも俊足の人間はいないと思ってたが、まさか同じアクセルの中にいたとは…。驚いた…」
「私…、|異能力者《ホルダー》だから…」
「…! マジか!? 道理で疲れ知らずなのか…」
「そう…。あんだけ走っても疲れないんです…。おかしな身体なんで…」
「羨ましいなぁ!」
 自虐気味に『おかしな身体なんです』と言いかけたアキの言葉に食い気味で放ったテツオのその言葉――羨ましいなぁ!――にアキは、きょとんとする。
「あの…。変じゃないですか? 汗一つかかないし、甘いもの食べたら無性に加速したくなっちゃうし…」
「いいねぇ。羨ましい! 俺もそんな身体に生まれたかったよ。まあ、でも! 俺は俺で自分の身体が好きだし、最高だと思ってる。つか、俺の方が速い! さっきは油断しただけだ…!」
 自分のことを羨ましいと言い放ったその人は、同時に、自分自身を好きだと言い、自分の方がすごいと子供のような無邪気さで言い切る。
「っぷ…、は…ははははは!」
 アキは、何故だか、笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。自分が今まで悩んでいた問題がとてもちっぽけに思えた。アキが笑うのに合わせて、テツオも一緒に笑った。
「…ははっははは!」
「俺は、真島テツオ。天道アキだっけ? アキでいいか?」
「…はいっ! テツ先輩♪」
「なんだ、その呼び方。先輩になった覚えないぞ…」
「…いいんです。私にとってテツオさんは、テツ先輩なんです。今決めました!」

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